今回のご相談
一般事業者Aが、事業用の開発用地の購入を検討していました。 仲介事業者である当社が仲介を受託し、B所有の土地を紹介。B宛の「買付証明書」(取引条件:売買代金1億円、手付金1,000万円、その他取引条件は別途協議する)を用意。Aはこれに署名し、Bも同様の取引条件を記載したA宛の「売渡承諾書」に署名して交換しました(当社を通じて上記書面を交換)。ところが、Bが「他の買受候補者に土地を売却したいため、今回の取引を中止したい」と言い出し、最終的な売買契約書の作成には至りませんでした(売買契約書案も検討もされていません)。このような場合、AはBに対し、売買契約が成立していると主張して、所有権移転登記手続請求はできるのでしょうか。
また、当社は売買契約の成立に向けてある程度の仲介行為を行っていたので、契約の成否に関わらず、Aに仲介手数料(報酬)を請求することになりました。Bとの売買契約の成立が認められない場合でも、当社が仲介手数料(報酬)を請求することはできるのでしょうか。
【解答】
売買契約が成立するためには、売主・買主間において「売買契約の確定的な意思表示の合致」が必要になります。本件では、売主・買主間で、「買付証明書」と「売渡承諾書」(以下「買付証明書等」と言います)が交換されていますが、この段階では「確定的な意思表示の合致」に至っておらず、Bに対する所有権移転登記請求は認められないと考えられます。
また、Bとの売買契約が成立していないため、Aに対して仲介手数料(報酬)を請求することは認められないでしょう。
【解説】
1.売買契約の成立要件について
売買は、当事者の一方がある財産権を相手方に移転することを約し、相手方がこれに対してその代金を支払うことを約することによってその効力を生じます(民法555条)。
売買契約は、当事者の申込みと承諾という意思表示の合致があれば有効に成立する「諾成契約」です。当事者の意思表示の合致のほかに、一定の方式を踏まえる必要がある「要式契約」でないため、「契約書の作成」が契約成立の要件になっていません。従って、口頭でも合意があれば売買契約が成立します。
2.不動産取引の実務慣行と確定的な意思表示の合致
不動産取引では、買主が売主に対して「買付証明書」(不動産を買い取る意向があることを売主に示す書面)を交付し、売主が買主に対して「売渡承諾書」(不動産を売り渡す意向があることを買主に示す書面)を交付した後で、詳細な取引条件を協議・調整しながら、正式な売買契約書を作成する慣行があります。
一般的に、買付証明書等には、不動産の表示、代金額、買主が不動産を購入する意思があること、売主が売り渡す意思があること等が記載されています。そのため、一見すると買付証明書等を授受した時点で、売主・買主間に売買契約の意思表示の合致があり、売買契約が成立しているようにも思えます。
では、売主・買主間の買付証明書等の授受によって、売買契約の意思表示の合致があるとして、売買契約が成立したと言えるのでしょうか。
裁判例を見ると、「買付証明書および売渡証明書の授受は、当時における原告または被告間の当該条件による売渡しまたは買付の単なる意向の表明であるか、その時点の当事者間における交渉の一応の成果を確認的に書面化したものに過ぎないものと解するのが相当あって、これを不動産の売買契約の確定的な申込みまたは承諾の意思表示であるとすることはできない」(東京地裁平成2年12月26日判決)と判断したものがあります。
前記判断の背景には、①不動産取引が他の財産の取引と比べて高額であり安易に売買契約の成立を認定すべきでないこと、②不動産特有の権利義務や法令上の制限(相隣関係の調整、開発許可手続き、土壌汚染・確定測量等)を踏まえて、取引条件を協議・調整しながら最終的な売買契約書が作成される通例等があるものと思われます。
そのため、売買契約の成立には、売主・買主間で「売買契約の確定的な意思表示の合致」が必要であり、一般的には正式な「不動産売買契約書」が作成された時点で、確定的な意思表示の合致があったと判断されることになります。
ただし、売買契約書が未作成の場合でも、取引交渉の経過や買付証明書等の記載内容等を踏まえて、裁判所が当事者間に「確定的な意思表示の合致」があったと認定する余地があることは留意が必要です。
3.仲介事業者の仲介手数料(報酬)請求の可否
不動産仲介(媒介)は、売主・買主の一方または双方の依頼により、当事者間の宅地建物の売買等の契約の成立に向けて尽力する行為を言います。仲介事業者の仲介手数料(報酬)請求権が発生するためには、①仲介契約の成立、②仲介行為の存在、③売主・買主間で売買契約の成立、④仲介事業者の仲介行為により売買契約が成立したこと(因果関係)が必要です。
国土交通省は、仲介(媒介)契約の標準書式として、「標準媒介契約約款」を公表しています。同約款では、報酬の請求に関して、「乙(※仲介事業者を指します)の媒介によって目的物件の売買または交換の契約が成立したときは、乙は甲(※委託者を指します)に対して報酬を請求できます」と定められています。
では、売主・買主間で売買契約の成立に至っていない場合、仲介事業者は、委託者に対して、仲介行為に応じた割合的報酬を請求できるのでしょうか。
不動産売買の仲介を委託した者は、仲介事業者から目的物件の紹介を受けた場合でも、売買契約を締結するか否かの自由を有しています。そのため、売主・買主間で売買契約が成立しない場合は、割合的報酬請求権も発生しないと考えられます。
ただし、仲介事業者のこれまでの仲介行為を徒労せしめるなど信義則に反する特別の事情がある場合、改正前民法648条3項を類推適用して、割合的報酬請求権を認めた裁判例があります(東京高裁 昭和50年6月30日判決)。
4.ご相談のケースについて
買主の購入目的は、事業用の開発用地の取得であるため、土壌汚染の調査や確定測量等に係る取引条件について協議・調整されることが想定されます。その上で、買付証明書等に「その他取引条件は別途協議する」との記載があるため、当事者間で未調整の取引条件を協議する意思を有していることが読み取れます。
従って、取引中止の段階で「売買契約の確定的な意思表示の合致」には至っておらず、Bとの売買契約は成立していないと考えられます。
また、仲介事業者を通じて買付証明書等の交換が行われていますが、Bとの売買契約が成立していないため、仲介事業者に対する仲介手数料(報酬)の支払義務は生じないと考えられます。交渉状況を見ると、仲介事業者は、不動産取引が中止された時点で、仲介行為として買付証明書等の交換までしか行っていません。加えて、取引中止の原因は、Bが他の買受希望者に土地を売却する判断をしたことであり、買主側に「仲介事業者のこれまでの仲介行為を徒労せしめるなど信義則に反する特別の事情」はなく、仲介事業者に対する割合的報酬の支払義務も生じないと考えられます。